北京オリンピックに出場するなど、世界で結果を出しているスピードスケートの森重航さん。
北海道別海町出身とのことですが、どんな家族のもとで育ったのでしょうか?
乳がんで他界した母親との感動エピソードも必見です。
森重航さんの家族について調べてみました。
森重航は10人家族で8人兄弟の末っ子!
森重航さんは、父・母・8人兄弟の10人家族です。
- 父:誠さん
- 母:俊恵さん
- 兄5人(長男:信洋さん?)
- 姉2人
- 八男:航さん
10人という大家族で育った森重航さん。
森重航さんは末っ子ということで、とても可愛がられたでしょうね。
今でもきょうだいのLINEグループで、森重航さんへの応援メッセージなどをやりとりしているそうです。
「おめでとーう」
「あとはオリンピックまで努力あるのみだね」
「北京旅行行きたかった」
励ましや祝福の言葉が書き込まれている。
引用:北海道ニュースUHB
- 名前:森重航(もりしげ わたる)
- 生年月日:2000年7月17日
- 出身地:北海道野付郡別海町
- 身長:175cm
- 体重:72kg
- 中学:別海町立上風連中学校
- 高校:山形県立山形中央高等学校
- 大学:専修大学
森重航の母は乳がんで他界!遺した言葉が泣ける!
森重航さんの母・俊恵さんは、2019年7月、乳がんで他界しています。
2012年に乳がんを患っていることが発覚。
手術は成功し、森重航さんの練習送迎や遠征に帯同できるまでに回復。
「20キロの道のりを自分の体調が悪くても“航のために”と言って送り迎えをしている姿をよく見ました」
引用:北海道ニュースUHB
森重航さんが地元・北海道別海町を離れ、山形の山形中央高に入学した後も、インターハイには3年連続で応援に駆けつけました。
しかし、高校3年のインターハイから戻った2019年1月、体調不良により再び入院を余儀なくされた母・俊恵さん。
がんが全身に転移しており、医者からは「もう長くない」と言われたそうです。
俊恵さんは、息子・航さんに心配をかけまいと、病気が重症化していることは打ち明けていなかったそう。
同年4月、東京の専修大学に進学した森重航さんは、学業とスケートの練習で多忙を極め、実家のある北海道にはなかなか帰れなかったそうです。
それでも忙しい合間を縫って帰郷し、「次に帰れるのは夏休みかな」と伝えると、母・俊恵さんは「もう帰らないでいいから、スケートを頑張りなさい」と告げたそうです。
その後も、入退院を繰り返した俊恵さん。
6月には病状が悪化し、再び入院するも「航の誕生日までは生きたい」と気力を振り絞りました。
そして、森重航さんの誕生日である7月17日、最後の力を振り絞って「スケート、がんばれ」と伝えました。
7月17日。森重、19歳の誕生日。ほとんど話すことができないほど病状が悪化していたが、誠さんは聞いた。「誕生日だから電話するか」。うなずく俊恵さん。携帯電話を鳴らすとしばらくして応答した。「ほら、航だぞ」と携帯を妻の耳元にそっと当てる。俊恵さんは、通話口に声を絞り出した。
「スケート、がんばれ…」
苦しくてもうはっきりとは、しゃべれない。それでも森重は確実に受け取った。母の命を懸けた言葉を。そして、涙声が電話口から病室に漏れた。
引用:日刊スポーツ
この4日後に、母・俊恵さんは他界。
「スケート、がんばれ…」が最期の言葉となりました。
森重航の実家は酪農家
森重航さんの実家は酪農家で、「森重ファーム」を経営しています。
別海町酪農研修牧場HPのインタビュー記事に取り上げられており、もともとは父・誠さんが経営されていましたが、
現在は長男・信洋さんが跡を継いでおられると思われます。
自分たちの世代が中心となって、地元の保育園などで行っている、酪農を通した食育活動を広げていきたいです。まわりの若い酪農家たちも、別海の町と牛がやっぱり好きなんですよね(笑)。
引用:別海町酪農研修牧場
キタキツネが生息するような大自然の中でのびのびと育った森重航さん。
牛へのミルク・餌やりを手伝い、その様子が農協のポスターに採用されたことも。
父・誠さんは、このポスターをティッシュケースに入れ、今も持ち歩いているそうです。
両親の愛や、きょうだいの応援を一身に受けて育った森重航さん。
家族のサポートが、世界で活躍する原動力となったのでしょう。
まとめ
森重航さんの家族について調べてきました。
- 8人きょうだいの10人家族
- 母は乳がんで他界するも、最期まで森重航さんを応援
- 実家は酪農家で、手伝う様子がポスターに採用されたことも
北京オリンピックだけでなく、世界大会で結果を出している森重航さん。
今後の活躍がますます楽しみですね!
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