千葉ロッテマリーンズの投手として活躍する佐々木朗希さん。
父親を震災で亡くしたそうですが、どんなお父さんだったのでしょうか?
父親の職業や性格、被災時のエピソードなどが気になります。
佐々木朗希さんの父親について調べてみました。
佐々木朗希の父の職業は葬儀屋!
2011年3月に発生した東日本大震災の津波により、佐々木朗希さんの父・功太さんはこの世を去りました。
37歳という若さで、佐々木朗希さんが9歳のときの出来事でした。
功太さんは生前、葬儀屋の仕事をしていたそうです。
功太さんは葬儀店に勤め、母の陽子さんも保険関係の仕事をしていた。しかし、功太さんは翌年の東日本大震災で犠牲になり、一緒に暮らしていた朗希の祖父母も亡くなった。朗希の祖父は、陸前高田で家具店を営んでいたという。
引用:日刊ゲンダイ
人情味あふれる功太さんはいつもニコニコと朗らかで、誰からも愛される存在だったそう。
佐々木功太さん。もともと、陸前高田では知られた人だった。元気な3児の優しい父として。人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として。夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる、太陽のような存在として。163キロ右腕のことを「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認知する人も多い。
引用:日刊スポーツ
佐々木朗希さんが兄の影響で野球を始めると、功太さんは兄弟と一緒に練習に明け暮れました。
一緒にキャッチボールをしたとき、功太さんは「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言したそう。
【#東日本大震災 関連ニュース】
— ボランティア団体Team-K (@vteamk) April 10, 2022
今日、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手(20)がプロ野球28年ぶりとなる完全試合を達成した。佐々木投手の父親は東日本大震災の津波で37歳の若さで亡くなったが生前父親は「将来はすごい投手になる」と話していた。今日の完全試合も空から見ていたに違いない。 pic.twitter.com/NuxSkJM6Zn
津波によって父と祖父母を失うという壮絶な経験をした佐々木朗希さんですが、野球をしているときだけは辛いことを忘れることができました。
毎朝父たちの写真に「行ってきます」と声をかけて練習に向かい、父の予言通りプロ野球選手として活躍しています。
佐々木朗希の父は性格もイケメンでバスケ経験者!
前述のとおり、みんなから愛されていた功太さんは、町の若きリーダーだったそうです。
若きリーダー、功太さんに多くの人がほれた。壊滅的被害からの復興に尽力してきた戸羽太・陸前高田市長(55)も、付き合いが長かった1人だ。「有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした」と、未来を語り合った日々を懐かしむ。「気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」と褒める言葉が尽きない。
引用:日刊スポーツ
穏やかな見た目の内面には熱い思いをみなぎらせており、頼りにされる存在だったのですね。
佐々木朗希さんが在籍していたスポーツ少年団では、普段からノックを打ったり、ノックの捕手を務めたりしていましたが、功太さん自身は野球の経験はなかったそう。
スノーボードやバスケットボールをやることはあっても、野球経験はなかったそうだ。
引用:日刊ゲンダイ
スポーツ少年団の「バット納めの日」には、子供と父兄が一緒になって野球をしたそうですが、功太さんはホームランを打って活躍。
佐々木朗希さんは190cm超えと超高身長ですが、功太さんも181cmという高身長で、身体能力が高かったのでしょうね。
佐々木朗希の父の発見時のエピソードも
3人の息子の成長を楽しみにしながらも、東日本大震災の津波によって、命を落とした功太さん。
津波の発生から5日後に“発見”されましたが、佐々木朗希さんはすぐに事態を理解できなかったそう。
大船渡の親族の家での、胸が張り裂けそうな5日間。3月16日、電話が鳴った。「見つかりました」。
電話口の言葉を知った朗希少年が「見つかった!?」と目を見開いたことを陽子さんは今でも覚えている。大人ならすぐに悟れる「見つかりました」の真意。当時9歳の朗希には、7文字の深さを察することはまだ難しかった。
引用:日刊スポーツ
父・功太さんが「見つかった」という言葉に、佐々木朗希さんは期待を寄せたのでしょう。
まだ小学生だったため無理もありませんが、再び父と生きて会うことは叶いませんでした。
野球という夢中になれるものがあったからこそ、大変だった時期も乗り越えられたという佐々木朗希さん。
2021年3月にプロ初の実戦登板を果たした際、次のように語っていました。
「10年前の僕は、たくさん人から支えられ、勇気や希望をもらいながら、頑張ることしかできなかった。今はその時とは違う立場にいる。今年は試合でたくさん投げて、たくさんの人に勇気や希望を届けることができるように頑張りたい」
引用:スポニチアネックス
多くの人の夢や希望を背負って、佐々木朗希さんは今後も野球を続けていくのでしょう。
まとめ
佐々木朗希さんの父親について調べてきました。
- 東日本大震災の津波により、37歳で逝去
- 職業は葬儀屋で多くの人に愛された
- 高身長で身体能力も高かった
父・功太さんも、佐々木朗希さんの活躍を空から見守っていることでしょう。
今後の活躍が楽しみですね。