「令和の怪物」という愛称で親しまれる、プロ野球選手の佐々木朗希さん。
東日本大震災で被災した経験がありますが、どんな家族のもとで育ってきたのでしょうか?
津波で父親を亡くし、母子家庭で育ったそうです。
佐々木朗希さんの家族構成について調べてみました。
佐々木朗希は5人家族
佐々木朗希さんは、父・母・兄・弟がいる5人家族でした。
- 父:功太さん
- 母:陽子さん
- 兄:琉希(りゅうき)さん
- 佐々木朗希さん
- 弟:怜希(れいき)さん
3人兄弟の真ん中として育った佐々木朗希さん。
幼少期はいたずら好きで、外をずっと駆け回っているような活発な少年でした。
兄の影響で、小学3年生から野球を始めましたが、2011年3月の東日本大震災により、家族を含め激動の人生を歩むことになります。
- 名前:佐々木朗希(ささき ろうき)
- 生年月日:2001年11月3日
- 出身地:岩手県陸前高田市
- 身長:190cm
- 学歴:陸前高田市立高田小学校→大船渡市立猪川小学校→大船渡市立第一中学校→岩手県立大船渡高校
佐々木朗希の父は震災で他界し母子家庭に
2011年3月、東日本大震災で被災した佐々木朗希さんは、津波によって父・功太さんと祖父母を失いました。
いつもニコニコと朗らかで、3兄弟を愛し、愛された父功太さん(享年37)が亡くなった。功太さんの母である、朗希の祖母もその後、見つかった。祖父はいまだ行方不明のままだ。
引用:日刊スポーツ
父・功太さんは葬儀屋の仕事をしており、地元の人から慕われる存在だったそう。
佐々木功太さん。もともと、陸前高田では知られた人だった。元気な3児の優しい父として。人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として。
引用:日刊スポーツ
父親や祖父母を亡くした悲しみや喪失感でいっぱいの佐々木朗希さんでしたが、野球をしているときだけは辛いことを忘れられたそう。
毎朝、190センチの背筋を伸ばし、父たちの写真に「行ってきます」と声をかけ、元気に学校へ向かう。母の思いがこもった弁当を、カバンに詰め込んで。
引用:日刊スポーツ
母子家庭で育った佐々木朗希さんですが、兄・琉希さんが父親代わりで、しつけも厳しかったそう。
陽子さんは「(長男の)琉希が父親代わりに弟2人の面倒を見てくれて、子どもたちはいつの間にかどんどん成長してくれました」と穏やかに振り返るが、この8年強の苦労は想像を絶する。
引用:日刊スポーツ
母・陽子さんは保険会社の営業をしながら、3人の息子を懸命に育てました。
佐々木朗希の兄弟も野球選手って本当!?
佐々木朗希さんには、野球経験者の兄と弟がいます。
3歳上の兄・琉希さんは、大船渡高校の外野手で、4番バッターを務めたこともありました。
佐々木朗希は
— 西浦達雄〈公式〉 (@touchup1954) April 10, 2022
負けず嫌いだという
明るく太陽のような若き
リーダー的存在だった父が
震災で37歳の若さで
朗希は兄によって
厳しく育てられた
兄も大船渡高校で4番
野球面でも私生活でも
弟を褒めたことがないと母が
朗希はその兄を超えようと
負けず嫌いになったという…pic.twitter.com/fsYxiRR1UE
東北学院大学に進学し野球を続けていましたが、卒業後は一般企業に就職したと言われています。
4歳下の弟・怜希さんは、大船渡高校の1番打者として攻撃を牽引する存在です。(※2022年7月時点)
ロッテ 佐々木朗希の弟も兄と同じ大船渡高校で活躍している。
— ∫fxdxせんせい (@sinxcosxtanxdx) May 25, 2022
佐々木怜希 2年
岩手県大会で準々決勝、盛岡三高戦で1番ショートで出場した。 pic.twitter.com/miFgvOmvrS
2023年は最上級生として戦うことになりますが、兄たちが果たせなかった甲子園出場を達成できるか注目されています。
まとめ
佐々木朗希さんの家族構成について調べてきました。
- 父・母・兄・弟がいた5人家族
- 父と祖父母を東日本大震災の津波で亡くした
- 母は保険営業で兄弟も野球経験者
地震によって大切な家族を失うという壮絶な経験をした佐々木朗希さん。
今後の活躍にも期待しましょう。