ZARDのボーカルとして、数多くの名曲を生み出した坂井泉水さん。
歌手デビューする前はレーシングクイーンやモデルをしていたそう。
レーシングクイーン時代の画像や、なぜ歌手になったのかも気になります。
坂井泉水さんの過去について調べてみました。
《画像》坂井泉水のレーシングクイーン姿が美しすぎる!
松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社でOLをしていた坂井泉水さん。
街中でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属することに。
当初は、本名「蒲池幸子(かまち さちこ)」名義でモデル活動をしていました。
レーシングクイーンをすることもあったそうで、その画像が美しすぎると話題です。
デージはZARDの坂井泉水さんがレースクイーンの頃から好きでした pic.twitter.com/01o1vXyMd1
— デージ (@dehGee) September 17, 2021
スタイルも抜群だね!
岡本夏生さんと同期で、一緒に仕事をしたこともあったようです。
坂井泉水さんは写真集を出したこともあり、歌手時代の清楚なイメージとは打って変わった大胆な水着ショットが新鮮ですね。
歌手としてブレイク後、過去のレーシングクイーンやモデル時代のことを週刊誌に取り沙汰されたこともありましたが、坂井泉水さんはキャリアのひとつとして捉えていました。
「坂井さんはZARD以前の自分の活動については、それも自分のキャリアの一部だとそのまま受け入れていました。ただ、事実ではない中傷記事がスポーツ紙に大きな見出しになったときは、涙がこらえきれなかったようです。私たちに泣き顔を見せたくなかったのでしょう、しばらく化粧室から出てきませんでした」
引用:AERA dot.
レーシングクイーンやモデルの仕事も、「事務所がとってきてくれた仕事だから」と、感謝して取り組んでいたそう。
どんな仕事も真摯に取り組む姿勢が素敵ですね。
坂井泉水はなぜモデルから歌手になったの?
当初はレーシングクイーンやモデルの仕事をしていた坂井泉水さんですが、もともと歌手志望でした。
中学時代は陸上部の短距離選手として活躍する傍ら、ギター部にも所属。
当時は陸上に熱中していたため、ギター部の活動は思ったようにできなかったそうですが、10代から音楽への熱い思いがあったようです。
高校では硬式テニス部に所属し、3年生の夏に引退後は学生バンドに参加しようとしたものの、ボーカルの空きがなく実現しませんでした。
短大卒業後は2年間のOL生活を経て、スカウトにより1989年に芸能界入り。
レーシングクイーンやモデルの活動後、1990年にB.B.クィーンズの音楽コーラス隊のオーディションを受けたことが転機に。
オーディションでは落選しましたが、才能を認められ、「坂井泉水」として『ZARD』結成へ。
1991年2月、シングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」などヒット曲を連発。
9作のミリオンヒットを生み出し、1990年代を代表する女性アーティストとなりました。
まとめ
坂井泉水のレーシングクイーン時代について調べてきました。
- 芸能界入りした当初は、モデルやレーシングクイーンとして活動
- 岡本夏生と同期で写真集も発売
- もともと歌手志望だった
歌手になる前は、美貌を活かした仕事もこなしていた坂井泉水さん。
今後も名曲を語り継ぎたいですね。