MENU

西垣匠は4人家族!父はフェンシング日本代表コーチで母は映画好き!妹も女優って本当!?

イケメン俳優として活躍している西垣匠さん。

2021年にデビューして以来、ドラマや映画に次々と主演していますが、どんな家族のもとで育ってきたのでしょうか?

妹も美人で、父親は元オリンピック選手という噂も。

西垣匠さんの家族構成について調べてみました。

Contents

西垣匠は4人家族!

西垣匠 家族構成 父 フェンシング 日本代表 コーチ 母 妹

西田匠さんは、父・母・妹がいる4人家族です。

  • 父:仁志さん
  • 母:
  • 西垣匠さん
  • 妹:玲那さん(2歳下)

小学校3年生のときにフェンシングを始めたという西垣匠さん。

もちろんそのビジュアルでも注目されており、慶應義塾大学在学中に参加した「ミスター慶應コンテスト」では見事にグランプリを獲得したほど。

甘いマスクなのに、イケメンさも感じるルックスですね。

「西垣匠さんの沼」にはまる人も少なくないようですね。

文武両道の西垣匠さん。立て続けに数々のドラマにも出演し、活躍の場を広げています。

西垣匠プロフィール
  • 名前:西垣匠(にしがき しょう)
  • 生年月日:1999年5月26日
  • 出身地:石川県
  • 身長:178cm
  • 血液型:B型

西垣匠の父親はフェンシング日本代表コーチ

西垣匠 家族構成 父 フェンシング 日本代表 コーチ 母 妹

フェンシングを始めたきっかけは、父親の影響という西垣匠さん。

どのような父親だったのでしょうか?

日本代表選手・コーチとして活躍

西垣匠 家族構成 父 フェンシング 日本代表 コーチ 母 妹
参考:日本オリンピック委員会のホームページ

西垣匠さんの父親は西垣仁志さんで、フェンシングの元日本代表オリンピック選手で数々の世界大会で優勝されているかたでした。

現在は公益社団法人 日本フェンシング協会に所属し、後世の教育・指導に励んでいるようです。

  • 1988年 ソウルオリンピック フェンシング男子エペ 日本代表選手に選出 
  • 1995年 日本オリンピック委員会強化スタッフ 就任 
  • 2017年 日本フェンシング協会 日本代表チーム コーチ就任
  • 2018年 フェンシング女子エペ 日本代表チーム 監督就任
  • 2020年 東京オリンピック 日本代表チーム コーチ就任
  • 2024年 パリオリンピック 日本代表チーム コーチ就任

近年、競技としてのフェンシングにスポットが当たり始めていますが、西垣仁志さんの功績も大きな要因の一つかもしれませんね。

二人三脚で息子と練習

西垣匠 家族構成 父 フェンシング 日本代表 コーチ 母 妹

写真は西垣匠さんが中学2年生のとき、父親の仁志さんとのツーショットです。

このなが~い脚の少年は??

顔も小さい~(絵文字)

中学2年生

西垣匠一郎君(絵文字)

石川ジュニアクラブでエペを頑張ってます(絵文字)

東日本大会エペ3位(絵文字)

お父さんは女子エペナショナルチームコーチ西垣仁志先生です。

脚の長さはお父さん譲りです(絵文字)

引用:Hatena Blog 金沢西高校フェンシング部

(西垣匠一郎さんは、西垣匠さんの本名です)

当時、西垣仁志さんがコーチを務めていた金沢西高校のフェンシング部のブログに西垣匠さんも登場していました。

小学校3年生からフェンシングを始めた西垣匠さんですが、出身校である金沢桜丘高等学校にはフェンシング部がなかったそうです。

そのため、父親の仁志さんのいる金沢西高校まで通いフェンシングの指導を受けていたそう。

僕の高校にはフェンシング部がなかったので、ずっと個人で活動してたんです。だから逆にチームにすごく憧れてたんですよね、団体戦も出れなかったから。ほかの高校のフェンシング部が試合中にみんなで声出し合ったり、点を獲ったらものすごい声援送ったりするのを見て、ずっと「いいなぁ」と思ってました

引用:rockin’on.com

内心は心細かったのでしょうね。

しかし、父親の仁志さんと二人三脚でフェンシングを続けたことで、輝かしい成績を残しています。

西垣匠 家族構成 父 フェンシング 日本代表 コーチ 母 妹
引用:平成29年度 金沢桜丘高等学校 部活動大会結果 〈運動部〉

きっと、仁志さんも誇らしかったのではないでしょうか。

素敵な親子だね!

息子のフェンシング卒業を引き留めたことも

西垣匠 家族構成 父 フェンシング 日本代表 コーチ 母 妹

フェンシングの選手として実績を積み上げていた西垣匠さんですが、転機がやってきます。

1度目の転機は高校生活最後のインターハイ。結果は6位でした。

その時に感じたのは『悔しい!』ではなく『これでいい』という満足でした。

その瞬間にフェンシングは続けられないと思ったんです

引用:ABEMA TIMES

「やり切った」思いを抱えながら、フェンシング引退も考えたそう。

もちろん両親からは、フェンシング引退を引き留められたそうです。

進路を考え、慶應義塾大学法学部への進学を決めた西垣匠さん。

ずっとフェンシングをやっていて、高校では私立専願コースで勉強していたら、先生に「慶應を目指したら?」と言われたんです。慶應はフェンシングも強くて、成績的にも合格が狙えるということで目指して、結局、指定校推薦で入りました。

フェンシングで日本代表として海外遠征によく行っていて、外国では日本とシステムが違うことが多々あったんです。学部を調べていたら、法学部の政治学科は1~2年生の間に幅広く勉強する中で、外国の政治や日本との外交関係を学べるということだったので、面白そうだなと思いました。

引用:YAHOO!ニュース(斉藤貴志ライター)

2度目の転機は、大学2年生のときに友人の推薦で出場を決めた「ミスター慶應コンテスト」でのグランプリ受賞でした。

実は西垣匠さん、インターハイでの達成感を実感していたと同時に、幼い頃から憧れていた芸能界に惹かれ始めていたそう。

「気にはなっていたんですが、友達が後押ししてくれたんです。グランプリにはびっくりしました。これを頂いたら、何かの判断材料やひとつの武器にはなるかな、と」

引用:ENCOUNT

表彰の瞬間を客席から両親も見守っていたそうで、「自分のやりたいことがあるならば、それを目指すのもいい」と芸能界を目指すことを応援してくれるようになったのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
Contents
閉じる