川崎幼稚園で、河本千奈ちゃんが送迎バスに取り残された事故が話題になっています。
事故当日、送迎バスは理事長の増田立義園長が運転していたとのことですが、どんな人物なのでしょうか?
父親から幼稚園を継いだそうですが、周囲からは「大丈夫か」と心配する声もあったそう。
増田立義園長の経歴について調べてみました。
増田立義の経歴
川崎幼稚園にて、3歳の河本千奈ちゃんが送迎バスに取り残され、熱中症で亡くなるという痛ましい事故が起きました。
静岡県の認定こども園「川崎幼稚園」に通う3歳の河本千奈ちゃんが、送迎バスに約5時間取り残され、熱中症で死亡しました。県の会見で明らかになったのは、ずさんともいえる園の管理体制でした。
引用:日テレNEWS
事故当日は送迎バスの運転手が休みだったことから、増田立義園長がバスを運転し、悲劇が起こりました。
捜査関係者などによると、5日午前8時に理事長が運転、70代の派遣職員が補助員として同乗し、バスは園を出発しました。千奈ちゃんを含む6人を乗せ、午前8時50分ごろ、園に到着しました。
引用:日テレNEWS
川崎幼稚園は60年以上歴史のあるこども園で、150人ほどが通っていたそうですが、ずさんな管理体制も明らかに。
責任者である増田立義園長はどんな人物なのか、詳しく見ていきましょう。
増田立義の実家は金持ちで父が幼稚園経営
増田立義園長は、父親が経営していた幼稚園を引き継ぐ形で園長に就任しました。
園長は父親から、こども園を引き継いだそうです。
引用:テレ朝NEWS
園長の同級生:「父親が引退してから。今の園長が始めたのは50代くらいから。とても穏やかな人で、怒ったり声を上げたりは見たことがない」
増田立義園長は現在73歳のため、川崎幼稚園を引き継いでから20年以上になります。
父親は幼稚園の他にも工場などを経営しており、実家は裕福だったそう。
「あいつの父親は、幼稚園の他にもお茶の工場を経営する金持ちで、いわば立義(増田立義園長)はボンボン」
引用:文春オンライン
海軍出身の父親は厳しい人で、子供のしつけにも手を抜かなかったようです。
立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。
引用:文春オンライン
増田立義は利益重視で性格はズボラだった!?
父親は厳しい人でしたが、増田立義園長は正反対のいい加減な性格だったそうです。
「一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」
引用:文春オンライン
そんな性格を知っていたためか、知人からは園長就任を心配する声もありました。
「園長になると聞いた時は、『あいつが園長? 大丈夫なのか?』と思いました。昔からの知人はみんな心配していましたね。子供の頃からズボラな性格だったので、水戸黄門の『うっかり八兵衛』ならぬ『ええからげん(=いい加減)八兵衛』と呼ばれていました。そんな性格が災いしたのか、まさかこんな事故が起こるとは……」
引用:文春オンライン
しかも、園長就任後は、近隣の幼稚園を買収するなど経営に力を入れるように。
「増田さんは近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園にまで手を出そうとしました。『そこまでやらなくていいんじゃないか』と隣町の議員が怒ったこともありましたよ。市議会や役場の職員のなかでも、『あんなに拡大して大丈夫か』『職員が足りなくなるに決まっている』と不安視する声はたくさんありました
引用:文春オンライン
経営拡大を進めるあまり、「子供の扱いや幼稚園の管理がおざなりになるのでは?」と不安視する声も多かったそうです。
増田園長は2012年に園児を集めて静岡県警牧之原署と共同で交通安全パレードを実施しているほか、2014年には交通安全活動に尽力したとして、榛原地区安全運転管理協会から表彰状を受け取ったりするなど、“地元の名士”として知られていた。
引用:文春オンライン
交通安全パレードなど、“パフォーマンス”に長けていたとされる増田立義園長。
肝心の管理体制が手薄になっていたことが災いしたのかもしれません。
まとめ
増田立義園長の経歴について調べてきました。
- 父親から幼稚園を引き継いだ
- 実家は金持ちでボンボン気質
- 経営拡大に力を入れていた
事故の真相が解明されることを望みます。