北京オリンピックで銀メダルを獲得した鍵山優真さん。
コーチでもある父・正和さんが脳出血で倒れた際には、祖母の平川佐治子さんの力も借りながら試練を乗り越えたそうです。
親子3代で掴み取ったメダルとも言えますが、鍵山優真さんと祖母・平川佐治子さんの苗字が違うのが気になりますね。
その理由について調べてみました。
鍵山優真と祖母の苗字が違う理由がヤバい!?
鍵山優真さんと祖母・平川佐治子さんは苗字が異なります。
- 祖母:平川佐治子(正和さんの母)
- 父:鍵山正和
- 息子:鍵山優真
鍵山優真さんと、父・正和さんは同じ苗字です。
正和さんは若い頃オリンピックにも出場しましたが、そのときから苗字は「鍵山」でした。
◆鍵山正和さんの若い頃の経歴についてはこちら!
正和さんには二度の離婚歴がありますが、婿養子に入っていたという情報はありませんでした。
日本では夫側の戸籍に妻が入るケースが多いため、父・正和さんの離婚によって鍵山優真さんの苗字が変わったとも考えにくいです。
つまり、鍵山優真さんと祖母・平川佐治子さんの苗字が違うのは、祖母と父の苗字が異なることに関係がありそうです。
詳しく見ていきましょう。
鍵山優真の祖母がシングルマザーだったことが関係?
鍵山優真さんの祖母・平川佐治子さんは、シングルマザーとして正和さんを育てていました。
このことが、鍵山優真さんと苗字が違うことに関係している可能性が高いです。
正和さんがフィギュアスケートを始めたのは小学2年の頃だった。きっかけは佐治子さんが連れて行った名古屋市内のスケート教室だ。
「私がすごくスケートが好きで、やってみたんです。そしたら、こんなに面白いスポーツはないと思って」
正和さんよりも、佐治子さんがのめり込んで一緒に教室に通った。
先生に「この子はいいかもしれない」と正和さんを褒められて、個人レッスンを受けさせ始めた。月謝は3万円。
「お金がかかるなあ」
「普通は月謝って4千円とか5千円だと思うじゃないですか。え、こんなにかかるんだって驚きました」
当時はシングルマザー。月謝は母に援助してもらった。衣装は母が縫い、スパンコールを佐治子さんがつけた。「夜中に一人で作業。それが結構楽しかったんですよ」
正和さんが小学2年生の頃には、祖母・平川佐治子さんは離婚していたことになりますね。
離婚した場合、戸籍の変動には3つのパターンがあります。
- もといた戸籍に戻る
- 新たな戸籍を作る
- 結婚時の姓を継続使用し新しく戸籍をつくる
①は、婚姻時の戸籍を抜けて、旧姓に戻るパターンです。
子供には戸籍の変動がないため、親と子で苗字が異なるケースが生じます。
離婚する夫婦に子供がいる場合、離婚後の子供の戸籍はどうなるのでしょうか。
これについては、特に変動はありません。上記のとおり、戸籍の筆頭者ではない離婚当事者は戸籍から抜けますが、子供の戸籍は、そのまま変動はありません。
子供の戸籍には変動がないのですから、子供の姓についても、離婚により変わることはありません。したがって、たとえば、父が戸籍の筆頭者である場合(父の氏を称する婚姻の場合)に、母が従来の戸籍に戻れば、母と子の姓は違うものになるということになります。これは、母親が親権者となった場合でも、変わることはありません。
所定の手続きを行うことで、親権者の母親と同じ苗字を名乗ることは可能です。
しかし、子供の苗字が変わることで、周囲から好意の目にさらされる可能性もあるため、子供をストレスから守るため、母子で別々の苗字を選ぶケースも多いそう。
平川佐治子さんは離婚後、旧姓に戻ったものの、息子のことを考えて正和さんの苗字を変えなかったのではないでしょうか。
そう考えると、平川佐治子さんと鍵山正和さんの苗字が異なるのも納得ができます。
②は、両親が亡くなっているなどで戻る戸籍がない場合に、新たな戸籍を作るパターンです。
平川佐治子さんは正和さんをスケートに通わせるために、母親に援助してもらっていたので、戻る戸籍はあったと考えられます。
離婚後は、母親と一緒に暮らしていたのかもしれませんね。
そうであれば、平川佐治子さんが旧姓に戻ったこととも辻褄が合います。
③は、離婚から3ヶ月以内の手続きをすれば、結婚時の姓を名乗ることができるパターンです。
平川佐治子さんと鍵山正和さんは苗字が異なるため、この可能性はないですね。
以上のことから、鍵山優真さんと祖母・平川佐治子さんの苗字が違う理由は、次のように考えられます。
祖母・佐治子さんが離婚
→旧姓「平川」に戻る/息子・正和さんは婚姻時の「鍵山」のまま
→鍵山正和さんの息子・優真さんは「鍵山」姓を受け継ぐ
⇒鍵山優真と祖母は苗字が異なる
苗字が異なっても、親子3代の絆は変わりません。
正和さんが脳出血で倒れた際には、住み込みで鍵山優真さんをサポート。
3人の生活が劇的に変わったのが18年6月だった。正和氏が指導先の中京大で倒れ、愛知県内の病院に救急搬送された。脳出血だった。
当時の鍵山父子は横浜市で2人暮らし。優真は初の国際大会となるアジア杯を控えていた。佐治子さんは“母親”になる覚悟を決めた。横浜に住み込み、優真の生活をサポートした。
引用:日刊スポーツ
父子家庭だった二人を平川佐治子さんが懸命にサポートしたおかげもあり、鍵山優真さんは精神的にも成長。
父・正和さんに頼りっきりだった練習も自発的に取り組むようになり、劇的にレベルアップしていきました。
この経験が、初出場のオリンピックでメダル獲得につながったとも言われています。
まとめ
鍵山優真さんと祖母・平川佐治子さんの苗字が違う理由について調べてきました。
- 祖母・佐治子さんはシングルマザーだった
- 離婚後、旧姓「平川」に戻したが、息子・正和さんの姓は変えなかった
- 鍵山優真さんは父・正和さんの「鍵山」姓を受け継いだ
祖母・平川佐治子さんのサポートもあり、世界のトップ選手として活躍するようになった鍵山優真さん。
今後の活躍がますます楽しみですね!