2024年5月にリリースした「はいよろこんで」で大ブレイクしたこっちのけんとさん。
音楽活動の他にも、映像制作やデザインの仕事などでマルチな才能を発揮しています。
そんなこっちのけんとさんですが、一度コンサル会社に就職したことがあったという噂があります。
こっちのけんとさんの経歴を調べてみました。
こっちのけんとのコンサル会社はどこ?
こっちのけんとさんは、アーティスト活動をする前に一度、企業に就職をしていたという噂があります。
どのような生活をしていたのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。
大学卒業後はコンサル会社に就職
こっちのけんとさんは、大学卒業後の一年間はコンサル会社に就職し、会社員として働いていました。
父親の職業がコンサルタントということで、その影響を受けてコンサル会社に就職したと過去のインタビューで話しています。
だからそういうのもあって父からのプレッシャーというか試練というか。自分も“コンサルになろう”と思って目指した
引用:スポニチ アネックス
ネット上では具体的な就職先について、株式会社船井総合研究所という噂もあるようですが、その根拠は不明のためデマの情報である可能性もあります。
サラリーマンとして働いている姿は、現在のアーティスティックな姿からは想像ができないですね。
うつ病を発症し退職
こっちのけんとさんは、大学卒業後に就職したコンサル会社を1年で退職しています。
その原因はうつ病を発症したことで、過去のインタビューでは当時のことを振り返っています。
先輩に受診をすすめられて、抑うつ状態という診断が出て、いったん休職しました。そこで客観的に今までの自分の働き方を見てみたら、自分には合っていなかったと気づいたんです。
引用:NHK就活応援ニュースゼミ
会社員時代のこっちのけんとさんは、夜中まで仕事をして会社に会社に泊まり込む生活をしていたそうで、久しぶりに家に帰ったときに玄関で動けなくなってしまったと語っています。
さらに、こっちのけんとさんは、新入社員にもかかわらず企業の社長さんに意見を言うというコンサルの仕事に矛盾を感じていました。
そんな中で精神的に自分ではどうすることもできなくなってしまい、退職することにしたそうです。
とても真面目な性格の持ち主なんですね。
父の還暦パーティーを機に音楽活動を本格化
うつ病を患っていたこっちのけんとさんは、父親の還暦パーティーをきっかけに音楽活動を再開させました。
音楽活動の復帰のきっかけは父の還暦パーティーでした。父の思いとして、兄弟3人にステージに立ってほしかった。僕は歌が得意だったから歌ってほしいということでした。
引用:Future 高校生版
当時はうつ状態で苦しい状態だったそうですが、人前で歌い、その歌を聴いて涙を流している人を見て、自分は歌を歌った方が良いと感じて音楽の道を進むことに決めたそうです。
その後、コーラスや仮歌の仕事を受けながら、オリジナル楽曲を制作する生活になっていきました。
始めのうちは、苦しかった過去の自分にメッセージを残そうというイメージで曲を作っていたそうです。
こっちのけんとは駒沢大学でアカペラ優勝!
こっちのけんとさんは、駒沢大学でアカペラサークルに所属していました。
駒澤大学オータムフェスティバル!
— こっちのけんと (@SuppokoPeppoko) November 4, 2017
歌うま選手権!!!
優勝させていただきました!!!!!!!!🏆
本当にありがとうこざいます!!!
めちゃくちゃ嬉しすぎます!!
これからも毎日歌って生きます!!
本当に本当にありがとうこざいました!!
楽しかったぁぁぁぁぁぁあ!!! pic.twitter.com/qJI9nZtexG
SNSには充実した大学生活の様子を載せた投稿が残っていますが、どのような4年間を過ごしていたのでしょうか?
菅田将暉の家に下宿
こっちのけんとさんは、地元大阪から大学進学をきっかけに上京しましたが、家賃を節約するために兄である菅田将暉さんの家に居候をしていたそうです。
大学に入学して上京したての頃、兄の家に転がり込んで同居していた時期があって、超忙しくしている姿を近くで見ていて。
引用:THE MAGAZIN
オシャレ好きな菅田将暉さんの家は洋服が絨毯のようになっていることがあり、そこから気に入ったものをしれっと自分のものにしていたことがあったというエピソードを話しています。
しかし、こっちんけんとさんは、影響を受けたアーティストは?という質問に対して、菅田将暉さんと答えるほど兄のことを尊敬しています。
いろんな方はいますけど、一番はやっぱり菅田将暉の曲。
引用:オリコンニュース
最近ではお互いの曲を褒めあうこともあるそうで、とても仲の良い兄弟ですね!
衆議院議員の秘書も経験
こっちのけんとさんは、大学時代に衆議院議員の秘書をしていました。
東京へ出てきたのは父の助言で、大学1年生の時には衆議院議員の秘書もやっていたんですよ。
引用:NHK就活応援ゼミ
秘書の仕事は楽しく勉強になったこともあったそうですが、今に活かされていることは「面白い話ができるようになったことだけかもしれない」と話しています。
珍しい経歴だね!
国会議員の秘書から政治家を目指す人もいるので、大学生活と両立しながら秘書を務めることは大変だったのではないでしょうか。
アカペラで全国優勝2回
こっちのけんとさんは駒澤大学のアカペラサークル「鳴声刺心」に所属し、複数のグループで活動していました。
在籍していたグループの1つである「ケミカルテット」というグループで、アマチュアアカペラの全国大会「A cappella Spirits」に出場し、大学3年生と4年生の時に2年連続優勝しています。
ディズニーソングのカバーをメインに活動していたそうで、そこでの経験が今のこっちのけんとさんのパフォーマンスに活きていると話しています。
アカペラサークルで4年間ずっとディズニーソングのカバーをやってきたので、そこで培った感情的に歌うことと、それでもピッチを外さないこと、この2軸をちゃんと捉えられているのは、自分の強みだと思います。
引用:Billboard JAPAN
素敵な仲間たちと音楽を楽しんでいたんですね!
こっちのけんとの高校は箕面自由学園|バドミントン部だった!
こっちのけんとさんの通っていた高校は、大阪府の箕面自由学園という情報があります。
こっちのけんとさんが音楽番組で箕面自由学園女子ダンス部と共演した際に、「母校ダンス部」と紹介されていたため、この情報は間違いないもののようです。
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— こっちのけんと (@SuppokoPeppoko) October 17, 2024
テレビ出演情報
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■11/5(火)19:30〜
NHK総合『わが心の大阪メロディー』
生放送です‼️
しかもしかも‼️
母校のダンス部の皆様と一緒にステージを彩らせていただきます‼️🕺
よろしくお願いします🙇 https://t.co/Gn1qpDOSkL
箕面自由学園は部活動が盛んなことで知られていますが、こっちのけんとさんはバドミントン部に所属していました。
が鍼灸師をしながらデザイナーをしている当時の部活のチームメイトが、現在こっちのけんとさんのアートワークを担当しているそうです。
高校時代の同級生がデザインしてくれています。バドミントン部のチームメイトだったんです
引用:THE MAGAZINE
大人になって一緒にものづくりをしているなんて、素敵な絆ですね!
こっちのけんとの中学校時代|兄が人気俳優に
こっちのけんとさんは、箕面市立第一中学校に通っていたと言われています。
そんなこっちのけんとさんが中学生のころ、兄である菅田将暉さんが「仮面ライダーW」に主演して一躍人気俳優となりました。
始めの頃はもてはやされることが嬉しかったそうですが、次第に同級生たちの反応は変わっていったようです。
調子に乗っていたようで、気がついたらいじめられていました。ゴミ箱からぼくの筆箱が出てきた日から『菅田将暉の弟』といわれる怖さを体感するようになった
引用:デイリースポーツ
ネット上に個人情報が晒されたこともあったそうで、兄の顔に泥を塗らないようにと無理に意識していました。
多感な年ごろということもあり、苦しい時期だったようですね。
こっちのけんとの小学校時代|ダンスとの出会い
こっちのけんとさんは、箕面市立西小学校を卒業していると思われます。
兄である菅田将暉さんが箕面市立西小学校の出身であると明かされているため、こっちのけんとさんも同じ小学校である可能性が高いです。
こっちのけんとさんは、小学4年生の時にサッカーを始めますが、ディフェンスが暇なときはくるくる回って踊っていたそうです。
そんな姿を見た両親の勧めでダンスを始めることになりました。
両親が「あの子、サッカーよりダンスとかのほうがいいんじゃないか」と思って、ダンスを習わせてもらって。身体で音楽を体感したり、表現することのきっかけはそれでしたね。
引用:Billboard JAPAN
ダンスの先生はフリースタイルで、ポップやロック、パンキングなど様々なジャンルを教えてもらっていたそうです。
ダンスで表現することを楽しむことは、現在の活動に繋がる最初のきっかけだったのかもしれませんね。
まとめ
こっちのけんとさんの経歴を調べてきました。
- 大学卒業後にコンサル会社で働いていた
- 大学時代アカペラサークルで2年連続大会優勝
- 高校までは地元大阪で過ごした
波乱万丈な人生を送ってきたこっちのけんとさん。
今後の活躍も楽しみですね!