一卵性双生児のタレントとして活躍したおすぎとピーコさん。
兄弟そろってオカマということでも注目されましたが、どんな家族がいたのでしょうか?
難病の姉や死別した兄がいるという噂も。
おすぎとピーコの家族構成について調べてみました。
おすぎとピーコの家族構成|死別した兄も!?
おすぎとピーコには、両親と姉のほか、死別した兄と姉がいると言われています。
- 父
- 母
- 兄
- 姉
- 姉(13歳上)
- 姉(9歳上)
- ピーコ(一卵性双生児の兄)
- おすぎ(一卵性双生児の弟)
年の離れた姉が2人いるおすぎとピーコですが、長男と長女はおすぎとピーコが生まれる前に亡くなったそうです。
年齢差や死因は明らかになっていませんが、おすぎとピーコは終戦の1945年に生まれたことから、病気や戦争が関係しているかもしれません。
おすぎとピーコの姉は難病だった
おすぎとピーコの9歳上の姉は、3歳で脊椎カリエスを患い、幼少期はあまり動けませんでした。
身体障害者の姉でしたが、おすぎとピーコが小学生の頃からハンカチーフの縁を縫う内職で、ずっと家計を支えてくれていました。
20代の頃には、職業訓練所で正式に縫製を習得し、ブティックの売り子をしたことも。
姉がずっとお針子さんやってたんですよ。進駐軍の奥様たちの洋服を作っている先生に姉はついていたので。だから例えばローリング20の頃の服を作ったりする時は、ビーズを通したりするお手伝いをしていたんですよ。
引用:THE GUEST
おすぎとピーコが芸能界入りしてからは、一緒に女優さんの衣装を作ることもあったそうです。
病気だったのにすごいね!
大人になってもおすぎとピーコとの関係は良好で、横浜に家に一緒に住んでいたそう。
私とピーコの仕事が落ち着いてきたここ20年くらいは、横浜の家に暮らして、私も月に1回は顔を出したり、出先から美味しそうなものを送ったりして、大晦日には、おせちを買ってピーコと3人で年越しをする、というのが恒例だった
引用:ぶんぶん通信
姉が亡くなってからは、おすぎとピーコの2人で年越しをするようになり、生活にも変化を感じるようになったそうです。
おすぎとピーコの両親の名前や顔画像も調査
おすぎとピーコの両親の名前や顔画像は明らかになっていませんが、父親は鉄工所を経営していました。
幼い頃から父に連れられて映画館に通い、父の勧めで新聞を読んでいたそう。
読書にも親しんでおり、近所には同世代の男の子がいなかったことから、女の子とばかり遊び少女漫画に夢中になったそうです。
おすぎとピーコは大学に進学する予定でしたが、父親が大病を患い、治療費がかさんだことから進学を断念。
おすぎはテレビ制作会社に就職し、ピーコはいくつかの職を経てサンヨーレインコートに入社。
営業職を4年経験した後、洋服のプロになるために文化服装学院で学び、テレビ制作会社に勤めていたおすぎの紹介で、ドラマ衣装などを手掛けるようになりました。
おすぎとピーコといえばオカマとして有名ですが、初恋は中学時代の男子生徒でした。
女子の憧れの的だったんだって!
10代の頃から同性愛者だと自覚していたようですが、おすぎとピーコの母親はそれを容認していました。
当時は、同性愛者を排除する動きも強かったそうですが、母親が受け入れてくれたことでとても安心できたそう。
“オカマキャラ”としてテレビで大活躍できたのも、母親の影響が大きかったかもしれませんね。
まとめ
おすぎとピーコの家族構成について調べてきました。
- 両親・兄・姉3人がいる
- 9歳上の姉は脊椎カリエス
- 父は鉄工所を経営していた
おすぎとピーコの個性が育まれたのも、素敵な家族のおかげでしょうね。